賃貸マンションのオーナーのお話

Aさんは公務員です。
先祖からの不動産がいくつかありますが、職責柄不動産業を営むことに抵抗があって、空地を駐車場にして賃貸するのがせいぜいでした。昭和の末頃から評価額が上昇し、駐車場からの収入がそのまま必要経費と税金に流れるようになって、周囲から資産家と呼ばれてもなんの実感もありませんでした。

世間知らずを自負するAさんは、両親が生前親しくしていたオバチャンだけが頼みでした。オバチャンは小規模ながら代々の商売を受け継いでいます。これからの地価はどうなるとか、税金対策についても話してくれます。でもAさんは、オバチャンの話を頭では理解できるのですが、具体的にどうすればよいのかはさっぱり判りません。

或る日、オバチャンが、駐車場にビルを建てないかと持ちかけてくれました。Aさんにはそんな資金はありません。でも父祖伝来の土地は、長男である自分の代では売りたくないと思っていました。オバチャンはすべて心得ていて、公的資金の借り入れと、その窓口になる銀行まで世話してくれました。そして、何より重要なテナントを、しかもそっくり一棟借りてくれるテナントCを紹介してくれたのです。

Aさんに文句があろうはずも無く、ハナシはとんとん拍子に進みました。テナントCのニーズだと、土地は2/3程度で足りるのですが、残地を駐車場にしても効率が悪いので、マンションを併設することにしました。ここいらは最近若者に人気の町です。工事は、これもオバチャンが数十年来の付き合いだというB建設が設計施工で受けてくれることになり、大震災の直後ではありましたが、支障なく完成しました。

一棟まるごと借りてくれたテナントCは、数年後に社長が交代し、前社長はオバチャンの長年の友人でしたが、新社長の事はよく知りません。それまで時々はC社に赴いていたオバチャンは、いつの間にか足が遠のいていきました。

ある日、マンションの仲介を頼んでいる会社から「いい加減に修繕工事して貰えませんか」と電話がありました。Aさんが「でもB建設からは何の連絡もありませんけど」と答えると、「一旦テナントさんが出たら、次のテナントが付かないんですよ」といわれました。「相当汚くなっているんでねぇ」

Aさんは大学の工学部出身で、自分が理科系人間であることを誇りに思っています。建築も工学系ですから、自社の設計施工で建てた建物に、B建設は当然愛情と愛着を持っているはずで、我が子のように見守ってくれていると信じていました。

Aさんが仲介さんから言われたことを伝えると、オバチャンは
「そうやねぇ、もぅ10年以上経つもんねぇ。早いトコ改修工事せなあかんね。」
「そんなこといわれても・・・」
「B建設に云いなさい。」
云われたとおりB建設に電話しました。
「随分汚くなっているらしいじゃないですか。なぜ放っておいたんですか!」
と支店長に抗議したところ、
「そんなこと仰られても、Aさんからご指示がないと弊社としては何とも・・・」
「汚くなっているのを知ってたんでしょ!」
「近くを通ったときには一応見ていますから・・・」
「じゃぁ、何故、こうなる前に言ってくれないんですか!」
「ですから、Aさんも当然ご承知だろうと思っていましたし、押し売りみたいになってもいけませんので・・・」
「早急に何とかしてくださいよ!」

すぐに、オバチャンから支店長に電話がありました。
「どないなってんのん?」
「えらいご立腹で・・・」
「放っとかれたって怒ってたよ」
「放っといた訳じゃないですよ。10年の担保切れのときにテナントさんにご了解いただいて防水のチェックをして、ちょっと漏れた形跡があったんで補修もしましたし・・・」
「そぅ、ちゃんとやって呉れてたんやぁ」
「そうですよ」
「せやけど、ぼちぼち修繕の時期やって云うてやらな」
「そう仰られても・・・」
「兎に角見積もりしてよ」

出てきた見積にAさんは吃驚してしまいました。オバチャンに「こんなお金無いよ」と電話しました。
「あんた、頂いた家賃どないしたん?」
「そんなん、借金返済と税金支払うたら、必要経費でチョンやん」
「テナントの保証金は?」
「あれは置いてある」
「それ、使うたらえぇやん」「
あかん!あれは手ぇつけるの怖い。テナントが出て行く言うたら要るやん」
「保証金の“引け”があるやんか」
「それはその時の事やん」
「なんぼやったら出せるの?」
「税理士に聞いたら○○が限度やて」
「そんなんあかんわ」
「せやかて」
「そんなん全然足らへんやん!」
「・・・」
「借り入れ起こしたら?」
「これ以上借金抱えてどないすんのん」
「駐車場やった頃の家賃、定期にしてたでしょ。手ぇつけた?」
「いぃや」
「あれ、●●位はあったと思うけど・・・」
「それでも全然足らへんやん・・・」
オバチャンは、B建設に掛け合いました。
「もっと安ぅならへんのん? お金無い言うてるわ」
「どれくらいやったら?」
「××・・・」
「えぇぇっ!」

そうこうするうちに、またマンションのテナントが出て行き、入居率が50%になってしまいました。
仲介さんは
「Aさん、もぅ限界ですよ。何とかしてくださいな。場所はいぃんですから、もぅちょっと綺麗にしたらテナント入るのに」
と云ってきます。
「外壁塗り直すだけで大丈夫ですか?」
「ちょっとお洒落になれば・・・」
「そんなん・・・B建設じゃ無理ですよ。あそこ、工事はしっかりしてるようですけど、デザインは駄目です」
「せめてエントランス廻りだけでも・・・」
「B建設じゃ無理ですって」
「じゃぁ・・・うちでデザインご提案しましょうか?」

Aさん、B建設、仲介さんがオバチャンの会社で一堂に会しました。仲介さんの提案に沿ってB建設が見積したところ、税理士が言う限度の○○を大幅に超えました。
オバチャンは、仲介さんに
「このデザインにしたらテナント入るんやね!」
と脅迫的に念を押し、仲介さんは
「来年の2月には完成させてくださいよ。でないと時機を逸しますから」
と、かろうじて釘を刺しました。
オバチャンは
「○○じゃ納まらへん事は明らかやんか。あと□□出せるでしょ!」
とAさんに迫り、Aさんが逡巡している間に
「なんとかこの予算に合わせる見積にして頂戴!」
とB建設に指示しました。
そうして、○○+□□を少し上回る金額になり、Aさんは「仕方ないか」という気持ちになりかけていましたが、それでもまだ逡巡していました。

ちょうどその頃Aさんは海外出張が多く、最後の詰めがなかなか出来ませんでした。
仲介さんはB建設に
「いつ頃やったらお客さん案内できるようになりますか?」
「いつ着工するんですか?」
と訊いてきます。来年の2月完成に向けた予定工期から言うと、既に着工していなければなりません。一同が会した席での決め事だったので、B建設は契約を待たずに足場を組み始めました。そんな事は露ほども知らないAさん。出張からの帰りに寄って見たら足場が組んであるので吃驚し、あろうことか「僕に無断で何するんですか!」と叫んでしまいました。

B建設も仲介さんもオバチャンも凄く慌てて、なんとか取り成そうとしました。でも、Aさんの憤りは静まりそうにありません。そもそもAさんは、みんな真面目にやってくれていると思ってはいましたが、これだけ汚くなるまで何も云ってくれなかったことに納得できていなかったのです。仕方なく、B建設は一旦組んだ足場を撤去しました。入居者は「あれ?」でしたが、この騒動で退去者が出るという事態には到りませんでした。

年が改まると、またマンションのテナントが出て行きました。Aさんが「なんで?」と訊いても、仲介さんは「わかりません」というだけです。
「やっぱり、綺麗にしないと仕方ないんですかね」
と水を向けると
「そうですよAさん。今シーズンには間に合いませんが、来シーズンまでに何とかお願いしますよ。B建設との話し合いは進んでいますか?」
「足場を外してから、何も連絡はありません」
「他の業者をご紹介しましょうか?」

Aさんは窮しました。どうしても、この建物を建てたB建設以外のところに任せる気にはなれないのです。でも去年の足場騒動で、支店長は本店から豪く叱られたと聞いています。自分が間違った事をしたとは思えません。だから自分から声を掛ける気にはなれません。
困ったときのオバチャン頼み。恐る恐る電話しました。
「あなたのこの問題は、私には荷が重いわ。B建設の支店長は、本店の手前どうにも動きが取れない。仲介さんは喧しく言ってくる。そしてあなたは決断しない。私はね、あなたの死んだお母さんと親友だったから、彼女だったらどうするかなって考えながら、あなたのためと思って今まで動いてきたけれど、違ったかも知れへん。私では、よぅ纏めん。」
「僕を見放すのん?」
「違うよ。そんなこと云うてへん。私はね、あなたはどう思っていたかは知らんけど、あなたにきついことが言えなかった。あなたに甘かったんよ。だからみんなを混乱させてしもぅた。」
「そんなこと云われても・・・僕はどないしたらえぇの」
「或る人を紹介したげるから、相談してごらん。設計事務所やってる人やねん」
「設計事務所? 図面なら仲介の提案書があるよ。B建設でも描くやろ」
「設計事務所の仕事は、図面を描くことだけやないと思うのよ。勿論必要やったら図面も描いてくれるやろぅけど、あなたの問題を治める手助けは、あの人やったら、なんとかしてくれるかもしれへんって思うねん。ちゃんと紹介してあげるから、相談してみなさい。」

いい歳をして情けない話ですが、最近あらためて、私たちの仕事って何だろうと考えます。
今、建物と真正面から対峙しようとすると、建築以外のいろんな要素に立ち向かわなければなりません。そんな事は、他の業界でも他の職種でもやってる事だと云われそうですね。きっとそうなのでしょう。でもね、設計者が、建築以外のいろんな要素に向き合っていることも、事実なのです。

Aさんのような困りごとを解決するのは、海外では弁護士だと聞いたことがあります。Aさんではどうしようもなく、オバチャンも疲れてしまったという状況では、Aさんの“代理人”が必要なのです。建物を不動産という側面から見れば、フィナンシャルプランナーが出てくるのでしょう。プロジェクトによっては広告代理店が主導することもあります。

弁護士は、殆どの立場について代理できますが、まだまだ狭義の法律手続に特化した職域です。他もおなじで、つまり、弁護士・フィナンシャルプランナー・広告代理店、どれをとって見ても、Aさんが頼みにすべき代理人という立場であることを表現する職種名称ではありません。そして設計事務所も・・・そうです。

今、あらゆる職業が専門職化しています。でもこれは、専門的能力を備えるという美名のもと、実はそれぞれの業界の生き残り策であり、特権の維持であり、それを餌とする官僚社会や一部のドンの策謀という側面が垣間見えます。あまり多くの専門資格が出来てしまい、その資格が無いとやっちゃいけないと思えることばかり。でも、専門職であればあるほどAさんの代理人は務まりにくい。つまり、Aさんが必要としているのは、スペシャリストではなくゼネラリストなのです。

建築士に取り締まり行政の網をかけ、否応無く狭い範疇でのスペシャリストに仕立て上げようという風潮のこの国で、それでも建物に関するゼネラリストとしての役割を果たすためには、私たちがそこに座ることが適切なのではないでしょうか。

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